亡き母に「ありがとう」。文字にすれば僅か5つのひらがなであっても、相手に伝えられない場合だってあります。時々、心の中で悔やみ、やり場のない叫び声を上げることがあります。
「町内の老人会の旅行に行くのも今回で最後にしよう…」といって、50年前に父と二人で行ったことのある伊豆の温泉旅館で心臓発作を起こした。
老人会のお友達に背中を流してもらいご機嫌なまま寝床に就き間もなく発作を起こし病院へ救急搬送されたが間に合わなかった。
私が経営する会社が倒産した時も「よかった、よかった!それで良かったんだよ…」と大きな声で平静を装っていてくれたが、陰では母はずいぶん心配していたようでした。
霊感師でもあった母は、50年以上も易占家として多くの人の相談を受けていました。
下校して家に帰るといつでも誰かしら来客がありました。悲壮な雰囲気のお客の話を聞くのは何となくいけないことのような気がして、カバンを置くとすぐに家の外に出かけていたような記憶があります。
家族のことよりも困っている人を優先して相談にのっていた母でした。そんな母の葬儀には、700人を超える方にお焼香をいただき、母を慕っていた方がたくさんいたことに改めて驚いたものでした。
いま、リスクカウンセラーとして悩み苦しんでいる人々からのご相談を受けられるようになったのも、単にFPやカウンセラーを学習してきたからというだけでなく、見えない母のパワーのお陰だとビリビリと身体の中に感じられるようになってきました。
6人の子供と祖母の9人家族を纏めるのも母でしたが、幼い頃から「自分のことは自分でしなさい!」
「働かざる者食うべからず!」
「自分で考えてから聞きなさい!」
と、振り返るとすべての言葉が子供たちの自立を促すための言葉であり、
子供心の奥深いところに刻み込まれていたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
周囲の人から「先生」と呼ばれていた母は、「先生と言われるものは貰い食い」といっては持参してくださった品をお仏壇と、生活が困っている人に分けていました。
また、「先生と言われるほどのバカでなし」と…、その後に「おだてられて調子に乗ってたらいけないよ…」と、自分自身に対して「戒め」ていたことを忘れられません。
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