2007年01月27日

【失敗から学ぶこと】−F おわりに

 

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【失敗から学ぶこと】−F  神原節雄∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ビジネス会計人クラブ・経営指導分科会
(2004.11.16/アルカディア市ヶ谷)

 
7.おわりに…
 

●最後になりますが、
人間には「業」というものがあるものかと感じるときがあります。

私がこのような羽目になるのも「業」の為す所業かと思うときがあります。

その「業」も甘んじて受けるのも良いではないかと思うときがあります。
 
@人間の幸福は…

金儲けだけが人生ではない。
人間の幸福は、またそれ以外にもいっぱいある。
それを自分で見つけて、
自分でつかもうとすることが自分自身の「再起」につながるのだと思っています。

それは、失敗に感謝することだと思います。
A死んだら死んだで生きていく

倒産した経営者が再起することは、
昔の「栄華をもう一度」呼び戻すことではなく、
ワンマンで感謝の気持ちを忘れてしまった自分から
新しく生まれ変わった人間になることだと思います。
最近、私はこのように考えて毎日を過ごしています。
「死んだら死んだで生きていく!」と云う言葉です。
この言葉は、
詩人の草野心平さんが晩年よく口にしたという言葉です。

本当にこの言葉が好きです
私は経済社会では死んだ人間です。

来年6月が来ると会社の10回忌であります。

「去る者は日々に疎し」と云う諺があります。
一応これでも、
業界においては多少知られていましたが、
では、
今ではどうかと云うと、
誰でもが、そんな会社があったかなぁ〜との記憶しかありません。
世の中というものはそういうものであります。
所詮、
人間というものは今更ジタバタしても始まるものではなく、
小細工しても仕方がないことです。
「何とかなるわい!」と
実に恬淡とした気分でおります。

B一日一世紀
 
いずれにせよ、
人間は偶然の所産なのです。
地球は、円軌道を描いているのです。
そのうちに陽も当たってくるでしょう。

明日死んでも良い。
いま最大限に生きることは

今日一日を善意で動くことが
「一日是好日」の生き方であると思うようになってきました。
感謝の心が出来てこそ、
正常な人間になってきたものと思っています。

今また、
「一日一世紀」という言葉にこだわって生きていこうと思っています。

C「幸せ」とは「心の静かさ」

私はこれまで様々な体験を経て生きてきました。
様々な体験と云っても通常の人がし得ないことです。
それは倒産と同時に脳梗塞という大病であります。

この十年間、ひたすら孤独も体験しました。

その孤独も、
最初のうちは「なんて苦痛」かと思いましたが、
だんだんと「こんな楽しいものがあろうか…」に変わってきました。
そして、
この十年間、殊更に考えたことは…
「幸せ」とは「心の静かさ」であると思いました。

心の乱れの少ない、
節制の効いた安定の日々のなかに本当の喜びがあるのだと思うようになりました。
与えられた状況の制約の中でも喜びを見つけて努力することです。
そういう姿勢を意識するようになったことは、

私にとっては大切な財産になっていると思います。

自らの環境の悪さを嘆かないようになると、
不思議にも「心の静かさ」が訪れるようになるものだと云うことを知ったのであります。
拙い私の話でありましたが、
長時間に亘りご静聴いただきありがとうございました。
これで終わりにさせていただきます。             
                               【完】 

 
 
 
 
 
posted by 寛良 at 21:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇『失敗から学ぶこと』 神原節雄氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【失敗から学ぶこと】−E 失敗から得たもの

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 【失敗から学ぶこと】−E  神原節雄∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ビジネス会計人クラブ・経営指導分科会
(2004.11.16/アルカディア市ヶ谷)

 

6.失敗から得たもの
  
@ 倒産して…「社長」から「人間」にかわる


     ・女房に感謝できなきゃ男じゃない
     ・社長を辞めれば…ただの人 
     ・女房とは…ずっと人間づきあい

 
10年前の断末魔の時は、
あらゆる人たちに迷惑をかけました。
特に親族、
家族には腐心をさせ続けてきました。

その中でもとりわけ心配させたのは女房でありました。

本当に女房には頭が上がりません。

●◎「女房に感謝できなきゃ男じゃない」といいます。
倒産前に家庭倒産がはじまっているという人が多いといいます。

それは、
妻である女房によると思います。

再起できるかどうかは女房で決まるといっても過言ではありません。

倒産したら「社長」から「人間」に生まれ変わらなけばなりません。

社長を止めればただの人間であると、
元社員も世間もそのようにみなします。
ところが、
女房はずっと「人間」としてのつき合いを続けているのです。
亭主が倒産者であろうが、
社長であろうが二人は「人間」としてのコミニュケーションをすっと続けていく関係であります。
 
特にこれから再起をしようとする者は
いちばん身近な人間である女房とのコミニュケーションが大切になってくるのです。
女房を教師として批評家として、
また、

心を癒してくれる医者としてつき合っていかねばなりません。

女房の言葉を素直に聞き、
自分を見つめ直すときだと思いました。
自分の過去を振り返り、
悪いと指摘されたところは直し、
いいと誉められたものは更に伸ばして

新しい人生に向かって進むべきだと思います。

再起しようとする人間にとって

女房の小言や批判は黙って聞かなくてはいけないと思いました。
会社を興して自分の力で事業をやろうとする位の男は

たいてい我が侭でワンマンです。
 
うまく行っているときには、
女房なんぞには「黙ってオレのいうことを聞いてりゃいいんだ!」

とくらいにしか考えてないものです。

これから新たな人生の幸せを目指して再起する人間だからこそ、

女房のいうことは黙ってきかなくてはいかんと思いました。

A倒産は…自分の限界を知る絶好のチャンス

     ・限界を知って人に感謝する
 
倒産は「自分の限界を知る、
絶好の機会」だと思います。
自分の限界を知ることは恥ずかしいことでも悲しいことでもありません。
 
そして、再起は「限界を知って、
人に感謝をする」ことから始めることです。
再起に最も必要なものは健康です。
 
しかし、
私の場合、倒産に加えて脳梗塞を発症してしまいました。
 

B健康こそ大切なもの

     ・大脳は……「創造の座」。脳幹は……「生命の座」。
     ・脳梗塞は「サイレント・キラー」だ。黙ってくる殺し屋だ。

 
●脳梗塞はサイレントキラーといって
「予告なしに、黙ってくる殺し屋」といって恐れられている疾病です。
 
私の脳梗塞の疾病名は「脳幹部梗塞」で、
別な呼び名で「ワレンベルグ脳幹部梗塞症候群」ともいいます。
脳梗塞でも100人100通りであり、大きく分けて大脳をやられるのと、

脳幹を患られるのと二通りあります。

大脳は「想像の座」といい、
脳幹は「生命の座」といいます。
私の場合は脳の幹部を患られているのです。
脳幹は脳の奥側に位置しており、
 
それに達する血管に血栓があったことです。
医師のいうことには、
「神原さんのは、
その疾患が管の内側でなく外側であったからこれくらいですんだのです。
もし内側であったならば一巻の終わりであったかもしれませんでした。」

と説明を受けました。

後遺症においても、
大脳疾患者は身体の表側に麻痺状態が現れますが、
脳幹の場合は後遺症が表面に現れないのです。
表面に現れない代わりに

人には理解し難い後遺症が数々遺っており今も悩まされております。

C謙虚になって他人の痛みを知った

     ・吾を識り、自分の弱さを知り、無力さを認識
 
そういう観点から申し上げれば、
人間の弱さ、特に私の弱さ無力さ非力さをまざまざと見せつけられました。
 

●私は倒産と大病を同時に体験した人間です。

人間というものは、
そのような境涯になると、
否応なしに「吾を識り、

自分の弱さをしり、無力さを認識するものです」

そのために、

他人様の痛みを知り、諦観することを自然に覚えます。
  
D贅沢を止め、清貧の思想が生まれる
     ・我慢すること、待つことができるように…。
     ・すべてを受け容れられるようになった。

 
そして一番会得したのは、
贅沢を止め、清貧な思想が身に付くことでした。
その清貧を実行することにより物の大切さ、
我慢すること、
待つことを会得しました。
 
そして、
清貧を実践することがこんなに清々しく楽しいことも発見できました。
 
posted by 寛良 at 17:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇『失敗から学ぶこと』 神原節雄氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【失敗から学ぶこと】−D 会計人に望むこと

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 【失敗から学ぶこと】−D  神原節雄
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ビジネス会計人クラブ・経営指導分科会
(2004.11.16/アルカディア市ヶ谷)

  
5.会計人に望むこと
 
 会計人に望むこととありますが、
恐れ多くも先生方の前で私ごとき者が生意気と苦笑のおもいでしょうが、
経営していたころに戻り、
その当時に会計事務所はこうあって欲しいと考えたことを思いつくまま話してみようと思います。

どうか、越権行為をお赦しください。
 
   @顧問先への指導について
     ・数字を駆使する魔法使いであってはならない
        ・顧問先への説明に専門用語は使わない
     ・所長先生が自ら顧問先に足を向けるべきだ

 

 ●今の社会はものすごいスピードで二極分化が進んでいると思われます。

良いところに人、物、金が集まり、
そうでないところには皆無であるといういう現象です。
 
バブル好況時には、
その点実に曖昧模糊で鷹揚なところがありました。
そして、
それがゆるされていました。
それでは、

その二極化は定着したかというと、そうではないと思います。

まだ進行中であり、
この現象はいつまでも続くし世の中の状況に合わせて遅速が合わされるものだと思います。
 
会計事務所の業界は競合社会であるのか、
そうでないのかそのあたりは定かに存知あげませんが、
私の情報からすれば競合業界でないような気がします。
 
やはり、これからの会計事務所は、
戦略情報提供型を求められるものではないかと思います。
少しでも他所との差別化をはかり、
それから付加価値を生ずることをしていかなくてはならないのではないかと思います。
 
そういう観点から申し上げるのはどうかと思い恐縮ですが、
たとえば、
同じ【士】のつく稼業で法務局近くに並んでいる司法書士がいます。
たまたま、
法人の印鑑証明やその他の書類をとるのに代行をお願いしたとします。
その事務所で対応に出た人が無愛想で気にくわないとなると、
次に行くときは隣の事務所に変えることも出来ます。
 
会計事務所の場合は、
そうはいかないと思います。
それ相当なチョンボをしない限りそれは出来ないと思います。
それはクライアントの大切な数字との関わりがあるため、
そうは、

簡単に愛想が悪かったからというくらいでは縁切りできない性格をもっているからであります。

  
A会計事務所の顧問責任

     ・会計事務所は事務処理業務より経営指導に重点をおいて欲しい
     ・顧問先社長が財務諸表を読めるように徹底指導
     ・赤字経営の社長を遠ざけずに頻繁に接触の機会をつくる
     ・決算処理を終えてから「赤字」を告げるのは無慈悲で残酷な仕打ちだ
     ・クライアントが提出する数字の正誤を見抜け

 
 それと同時にクライアントは、
一回顧問となってもらったらそうは簡単には変更しないという慣習のようなものがあります。

会計事務所を変更すると言うことは実に勇気のいることであるからなのです。

その会社が存在しうる限り関係が結ばれているようであります。
だからといって太いパイプで信頼がつながっているかといえば実に疑問であります。
 
●経営には数字はつきものです。

クライアントには「数字」を「数値」に置き換えて経営するように指導すべきだと思います。

数字と数値の違いは前述しました。
数値には、
その数に秘められ隠された喜怒哀楽のドラマがあると思います。

数値にはそのドラマを醸しだす不思議な性情をもっているとおもいます。
 

個人差はあってもほとんど中小企業の経営者は数字は読みますが、
数値を読まない人が多いのではないかと思います。
読まないというより読めないと言った方が妥当かもしれません。
特に勘定科目すら解からない人がいるとおもいます。
私なんかは会計事務所が変わった途端に
「完成工事末収入金」「完成工事支払金」「長期前払費用」や
「未成工事受入金」「完成工事引当金」「法人税未払金」などの科目は
以前の経理士の場合はひとつも使ってない科目でしたからびっくりしました。
 
そしてこの科目はどうして、
左の方の借方にくるのだろう、
どうして貸方にくるのだろうと素朴に疑問をもったものです。
 
それによって、
どういう意味をなして、
どうして決算書にこの科目が載ってくるのだろうといつも思っていたくらいです。
そのような疑問はいつも持っていたし、
そのような疑問になってくるとバランスシートを視るのが嫌になり視たくなくなるのです。
 
ですから、

その疑問を解決してやるとクライアントから物凄い信頼を寄せられると思います。 

私の現役時代に、
他社の社員から、よくこんな話をしていることを耳にすることがあります。
「うちの社長はバランスシートが読めるのだ」と聞きますと、

ものすごくその社長に尊敬の念を抱きました。

「うちの社長は営業が巧くてよく仕事をとってくるのだと」
と聞くと、
どうも思わないのです。
「社員のする仕事を社長がするのか?
社員の仕事を横取りしているのか?社長ができるのは当り前ではないか?」

としか思いませんでした。

クライアントは会計事務所に対して、

「決算書」がよく読めるのは当り前にしか思ってないのです。

会計事務所にお願いすることは、

数字、数値に弱くて音痴の経営者をぜひ啓蒙し啓発するように努めてほしいのです。

クライアントには決算書をお経本だと思っている人がいると思います。
経本のようなむずかしい決算書を簡略に
解かりやすく読める工夫してあげるとよいと思います。
 
会計事務所にわたる数字は、
クライアント自体にとっては命の数字です。
その数字を読むのにチンプンカンプンでは不幸の限りでありませんか。

ここでもっとも強調して教え諭すことは「数字は嘘をつかない」ということです。

そして会計事務所は数字を扱う魔法の人、

いわゆる数字を駆使する「魔法使い」と思わせてはいけないということです。

つまり・・・
(1)死んだ数字や、ウソの数字を追いかける番人になってはいけないと言うことです。

 
(2)クライアントが会計事務所に対して「魔法使い」と評することは、事実は赤字であるのを黒字に転化させる行為のことです。それは粉飾しかないことです。


(3)ここで注意することは、決算をまとめ上げた時点で初めてその期の収支を明らかにして、赤字であることを告げると云うことは職務として不親切極まりないことであり、クライアントにとって至って残酷なことです。


(4)試算表に月次試算表をまとめ上げている時点で毎月の損益のプロセスは判明するはずであるから、その時点で数値を示して指導しておくべきです。


(5)一番最善の方法は、月次決算書を結んでいる途中において、欠損(赤字)を見つけてやり、黒字になるように方向性を見いだせるように指導してあげることではないでしょうか。

●難解な勘定科目の用語解説などを網羅したものを解説して渡してあげればクライアントは本当に助かります。これは一つの戦術行為です。
 

B顧問先との経営情報の連携強化

     ・黒字経営の社長を褒めよう
     ・赤字経営の社長とは徹底的な原因追及


●会計事務所はクライアントが決算を結んだときに欠損(赤字)を計上したときは、

会計的に正しく指摘し、
教え導いてやるとクライアントはどんなに心強く

会計事務所の指示を真摯に受け止め真剣に経営に当たると思います。

 その時に、これ以上赤字を続けると将来このようになるよと、
シュミレーションを作成して示してあげると…、

尚、効果と信頼度が増すと思います。
「改善点はこの点ですよ。」「この科目を改善してください。」と

書類に記述して渡してあげると良いと思います。
赤字を計上して指摘する場合は、
クライアントを会計事務所に呼びつけて指摘してあげた方が効果があるでしょう。
その指摘する役目は当然ですが、

会計事務所のトップが行なった方が良いと思います。
逆に利益を算出した場合は賞賛してあげることを忘れないことです。

その場合はクライアントの会社へ訪問してやった方が良いと思います。

どちらもクライアント側の社員が注目しているのです。
社長は今、

会計事務所の所長に呼ばれて、
赤字を出した原因を指摘されているのだと社員に思わせることです。
その両方を行なうことでどれだけ会計事務所の権威が保たれることでしょう。
 
会計事務所がクライアントの提出する数字をより厳しくチェックするとなると、
クライアントは巧みに虚偽の数字を出すようになるかも知れません。
欠損を続けているクライアントにはしばしばあることです。

その行為を見抜く慧眼力と洞察力を養い持っていなくてはなりません。

●所長の「経営診断」と称して財務諸表の分析をしてあげたらよいと思います。
 収益性の分析
 安全性の分析
 成長性の分析
 生産性の分析
くらいはしてあげたらよいと思います。
注意することは経営診断するときに、

余り専門用語やカタカナ語を駆使して並べたてないことです。
バランスシートや損益計算書を基に財務諸表分析するわけですが、

算式だけを示すだけでなく、
たとえば収益性においては、
会社の目的である(利益)の程度はどれだけかを判定する分析であり、
経営分析の中で一番大事な分析であるとか、
各分析の内容を克明に分析して、

クライアントの経営内容の位置を示してあげるとよいと思います。

その算式なんかは、
書店で売っている経理の本などに書いていますが、
たとえば、
自己資本利益率は年間純利益÷平均自己資本×100=とありますが、
平均自己資本は決算書のどの科目からもってくるのか、
あるいは、
総資本回転率は年間売上÷平均総資本とありますが、
では、
平均総資本とはどういうのを指すのか、

全然クライアントには理解できません。

自己資本率は何を意味するものなのか、
15%以上のものが良いとありますがそれはなぜか?
総資本回転率は何と連動するか、
その率は高いほどよいとありますが、
どれくらいの数値が妥当なのか、
クライアントとはさっぱり解からないと思います。
 
●会計事務所の所長先生は、
一年に1〜2回はクライアントのところへ訪問してあげるとよいと思います。
担当者を伴ってでもよく、
中間、本決算を作成してそれを持参するときでもよろしいと思います。
私の場合は、
会計事務所を替えて14年の間、

所長の来訪は1度もありませんでした。

所長がクライアントの事務所へ訪問すると、
異なった緊張感を醸し出し、ものすごく喜ぶものです。
一等クラスのお得意さんの社長や
メインバンクの支店長が来訪するくらいに歓待されると思います。
 
●利益を計上したクライアントには、

内部留保をすることを勧めるべきです。
徒に節税を勧めることを避けた方がよいと思います。

節税対策は日頃の経営業務で指導しておくことです。
内部留保をするメリット、しないデメリットを詳しく教え導いてやることです。
 

●クライアントはなぜ会計事務所を先生というのでしょうか。
先生という言葉は敬意をはらい尊敬している尊称だとおもいます。

それは、
自分には為しえないことをするスペシャリストであるからだと思います。
 
私も、
生涯にわたって先生と呼ぶ人は3人しかいません。
それは、
私の義務教育を教えてくれた学校の恩師です。
それと、
現在、脳梗塞で治療をうけている病院の主治医であります。
そして、

最後は会計事務所の先生です。

前述したように、
かつての私どもの会社は毎年、
期首に経営計画発表会を行なっていました。
この行事はホテルの会場を借りてやっていました。
社員、
来賓を入れて総勢150人くらいでありました。

その発表は社長1人だけで発表する独断場であります。
社長の発表後は必ず来賓の挨拶をいただきます。

その挨拶の筆頭が主力銀行で、
その次が会計事務所所長の挨拶でした。
来賓が着席するひな壇も、
銀行の次に位置して座っていただいておりました。
この席次は、
同じ経営戦略を学んだ全国の仲間が均しくやっていたものです。
そんなことを今更いうのは、
おこがましいかぎりであり当り前のことですが、
会社経営にとって数字を扱う会計事務所を
如何に大切に思っているかを如実に示している姿勢であります。
 
経営計画発表会は、
いわゆる、
その会社の生命を発表する場であります。
その生命の数字に会計事務所は関わっており、

重要な数値の番人でもあるということを物語っているのです。

★そして、
赤字(欠損)を算出したクライアントには、
心より同情して「なぜ赤字になったか」を検討して「黒字に転化」するには、
どうしたら良いかを共に思案したり、
作戦を練ってあげるといいと思いますし、
そうすることによってどんなにクライアントが心強く思うかと言うことと同時に
一層信頼度の太いパイプが出来ると思います。
 
会計事務所は、
クライアントが欠損(赤字)を算出したときが付加価値を発揮する最大のチャンスだと思います。
普通は、
会計士事務所は赤字を計上し始めたクライアントを遠ざけていく傾向がありますが、
それはまったく逆行する行為です。
 
posted by 寛良 at 17:35| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇『失敗から学ぶこと』 神原節雄氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【失敗から学ぶこと】−C  リスクカウンセラーとの出会い

 
 

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 【失敗から学ぶこと】−C  神原節雄
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4.リスクカウンセラーとの出会い
   
●◎島田さんの紹介で細野孟士さんと、最初にお会いしたのは今年の2月でありました。
最初にお会いして名刺をいただいた時に「リスク・カウンセラー」と書いている名刺を見て、こんな職業の人がいるのかと思ったくらいです。
  
@弁護士とリスクカウンセラー
     ・弁護士は・・・・法的整理をしてくれる人
     ・リスクカウンセラー・・・・終末患者が終末医療を受ける主治医

 
 会う前に、細野さんのことは、
島田さんから多少伺っていたので理解はしていたのですが、
よく話を伺って本当に啓蒙されました。
私が断末魔を迎えたころには

細野先生のような方は存在してなかったと思います。

弁護士にお世話になる前の、
いわば、
終末患者が終末医療を受ける
治療医の役割を果たすことを聞いて非常に興味をもちました。
 
細野先生の手厚い治療と看病により
末期症状で窮状の方を何人も救われた話をきき、

尚驚き感動しました。

まさに、
細野先生は今、
現在、窮状している中小企業の経営者にとっては必要且つ欠かせない人であります。 

    
私の場合はいきなり弁護士さんにお世話になることにしたのです。

また、
その方法しかしりませんでしたから。

弁護士も同郷で学校の先輩でもあり非常に誠意をもってやっていただきました。

しかし、
もしその時点で細野先生を存知あげていたならば、
細野先生の事務所の門をたたいていたかもしれません。
そうするとどのような展開になっていたかも分からないと思います。
 
Xデーを決意してから、

決めた「Xデー」が来ても3ケ月ほど引き延ばしたのであります。

そのようにしたのも、
売り上げ代金の入金がしばらく続き手形決済するのに未だ余裕があると思ったし、

できるだけ債権者の負担を軽減しておいた方が良いと思ったからです。

それはどういうことかいうと、
年度末3月工期の工事がほとんどであり、
その工事代金の入金があるからです。
その資金を手形決済にかえたということです。
 

A金融機関(貸金業)の融資間基準
  
会社の能力以上のお金は貸さない 
もうすでにメインバンクから引導を渡され
融資も1年以上も受けていない状況でありました。
 
銀行から融資を断られた時点から、
腹を括っていたのです。
腹をくくるということは、

別の方向性を見いだせということです。

早急で強力に経費の見直しをすると同時に
リストラで利益を出す仕組みをつくればよかったのですが、
前述したように遅々としてそれも遅れていました。
 
銀行は金貸しが本業でありますから、
私の会社に金を貸さなくなったということは、
会社の能力以上のものは貸さないという、

極めて当然の金貸しの法則を守っただけのことです。

銀行がダメなら
第二、第三という手も考えてはいましたが、
下手に悪あがきをすると傷口を大きくするという
悪い事例はイヤというほど見てきました。
 
悩み抜いた末、
決意し法的整理をお願いするために顧問弁護士のところへ直行したのです。
 
しばらくして、
決然として立って決意しました。
すぐそこから弁護士のいる法律事務所に直行したのです。
それは、
法的整理をするためでした。
第二、第三という手はありましたが、
下手に悪足掻きをすると傷口を大きくすると思ったからです。

そういう悪い事例はたくさん見てきてしっていましたからです。

整理が終わって考えました。
「少し決断が早かったかな」と思いましたが、
数年を経て準大手のゼネコンがかなり倒産しました。

その中に2社ほど主力取引先がありました。

私の会社が、
何らかの方策で例え延命していたとしても、

結果的には同じ運命をたどっていたであろうと納得したものです。
  
B「清算貸借対照表」の存在を知って…


     ・「資産」と「負債」の真実の姿を知ることの大切さ 
▲ 細野先生と面会したときに「清算貸借対照表」のことを聞きました。
 
その時に初めて「清算貸借対照表」という会計用語を聞いたのです。
それまでは、

そんな用語すらも知らなかったのです。

あれだけマネジメントのことを学びながら、
そんな専門用語すら知らず、
存在すらしりませんでした。

私どもの会計事務所すらそんな言葉を発したことはありませんでした。

確か、
会社が破綻して管財人が乗り込んで来て、
会計事務所に作成させたことを憶えていますが、

会社が倒産して管財人が特命して法的に必要なものなので作らせたものかと思っていました。

その時は、
もう倒産した後だし詳しく見なかったのですが、
その「清算貸借対照表」に表示されていた赤字金額を見ましたら
10億以上の赤字であったことは間違いありません。
 
会社が倒産したので、
裁判所に提出するために意図的に赤字を増大計上して、

あのような「清算貸借対照表」を作らせたものだと解釈していたのです。

細野先生にお会いしたときに
「試算表解体新書、危機管理の第一歩『清算貸借対照表のつくり方』」
という小冊子をいただき、
帰宅して食い入るように見させていただきました。
 
私は、
その小冊子を何回となく読み理解しました。
「管財人が、会計事務所に作らせた、

「清算貸借対照表」は間違いない。あの赤字は正真正銘のものだ」とそう思ったのです。

まあー。
なんてオレは無知であったのであろう。
10億以上の赤字であったのだと・・
売上げの3割も赤字であったのではないかと、

これでは銀行も金を融資しないわい!

あのドロ船でよく何年も航海していたものである。
それにしては、
人様や乗組員である社員に大言壮語を言っていたものよ! 
何を寝言や見栄を張って、
世迷いごとを並べ立てていたのだと反省することしきりであります。
 
「後悔先に立たず」であります。
航海していたドロ船はもう沈没してありませんが、
こんなに欠損していたならば、

なりふり構わず「リストラを大実行」していくべきでありました。

優柔不断であったとか、経
営者として冷徹さが欠けていたとか、
そんな悠長で呑気なことをいってなかったと思います。
 
隆々とそびえ建つ自社ビル何本かや他に土地を持っているのをみて、
まだ資産は充分あるのだと思い上がり、
バブルが弾けて半値になっているにもかかわらず、
…傲慢なものです。
 
銀行はとっくにその辺りを見透かして信号を送っていることに気がつかずに、

実に醜いことであります。

もし、
破綻する数年前にこの清算貸借対照表を作成することを知っていたならば、
私の会社は倒産を免れたかもしれません。
だからといって今は後悔してませんが、

それは10年を経ているからだと思います。

私は、
細野先生に
「もし私が心身とも(倒産と脳梗塞)に元気であったら、
われわれの業界に先生を招いて講演していただき、
この「清算貸借対照表」のありかたのお話をしていただき、
業界の人たちを啓蒙してもらいたいくらいです。」と、

こう申し上げたくらいです。

法律も変わって評価損を正しく計上するようになっていますが、
それは、
そこのクライアントの事情があって様々なことでありましょう。
 
クライアントの方も、
このバブル崩壊でかなり資産は目減りしていることは知っているし、
覚悟はしていることでしょうが、
極めてその辺りは、
アバウトであり大よそだと思います。

そうしないと仕方のない情況にあるからだと思います。

私は細野先生に無理をお願いして、
この小冊子を10部ほどいただき、
経営している知人や友人、
地方にいる友人にも送ってやりました。
「神原ありがとう。
目から鱗がおちた。
「清算貸借対照表」のことを初めて知った。
早速、
経理士にお願いして作ることにした。

知らずにいたことは空恐ろしいことだ」と手紙をもらいました。

  
C経営計画書との大きな違い


     ・「経営計画書」・・・・理想郷を求める
     ・「清算貸借対照表」・・・・現実の姿を見る
     ・「清算貸借対照表」を企業はもっと活用すべきだ。
 
★●倒産する2年前、
平成5年11月1日に史上最高の5,900億円の負債で
会社更生法を適用して倒産したゼネコンがありました。
 
当時としては大きく多額の負債額で世情を騒がせ話題になりました。

テレビ、マスコミ各社は一斉に報道しました。
 

私は、

そのゼネコンから約2億弱の不渡りを喰らい貸し倒れを発生させていたのです。

その手形は銀行で割り引いていたものもあるし、
問屋へ廻していたものもありました。
 
その時は、
潔く格好よく買い戻したのであります。
その当時はそれだけ会社には体力があったのですね。
しかし、

それによって会社の体力が消耗しはじめて打撃になったことは間違いありませんでした。

●そして、
毎年、期首には経営計画書を作成してお客様(銀行、会計事務所、仕入先、勉強仲間)を招いて発表していました。

それは、どういうことかというと、
経営計画は社員に対して発表するものであって、

今期の売上げはこれだけで、
利益はこれだけですという内容のものです。

そのためには実践してくださいといって実践するマニュアルを作成したものです。

そして社員の皆様には実施責任を果たしてください。
実施責任を果たした暁にはユートピアが待ち受けていますよ。

というものでした。

その代わり、

社長は利益責任を負いますよ。というものです。

利益責任とは、
「儲かった時は利益を社員に公平に分配することと、

会社が倒産した時は社長の私が一身に責任を負うもの」と云うことです。

 
 その大命題は…
  お客様第一主義
  環境整備に徹する
  クレーム処理に徹する・・・でありました。


 倒産して考えてみますと「仏造って魂を入れず」「絵に描いた餅」でしかなかったのです。

posted by 寛良 at 17:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇『失敗から学ぶこと』 神原節雄氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【失敗から学ぶこと】−B 経営管理(マネジメント)を検証する

 

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 【失敗から学ぶこと】−B  神原節雄
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ビジネス会計人クラブ・経営指導分科会
(2004.11.16/アルカディア市ヶ谷)

 

3.経営管理(マネジメント)を検証する
  
@数字は「ウソ」をつかない?

 
・税理士の「打ち出の小槌」で黒字の決算申告書
 

「数字はウソをつかない」という格言があります。本当だな思いました。
会社を創業したのは昭和46年の7月でした。資本金200万で設立しました。
会社登記は親戚筋で司法書士をしている人がいたので、そちらの方へお願いしました。

 
それでしばらく「業」を行なっていました。
企業経営をするのに会計事務所が必要であることに気がつきました。

況して、法人組織にしたことですから、尚更のことです。さて?どうしようかと見当に困りました。

ちようど、
良い具合に創業した場所の5〜6軒先に、
T公認会計士という看板を掲げているのが目に入りました。
これは、シメタ!
経理事務所が近所にあるとはと、しかも、公認会計士とは、願ってもないことです。
 
でも、
私のような、独立したばかりの者を相手にして経理をみてくれるかなと不安をいだきながら、
私の会社の経理をみてもらう依頼のために訪問したのですが、
その方は非常に人柄もよくひとつ返事で引き受けてくれました。
 
私は、
公認会計士というから何人か職員を使っての事務所かと思っていたのです。
そうでなく一人でやっていたのです。
 
年配は50歳後半の方でした。
(当時、私は30才になったばかりでした)その方は後継者がいなくて今は廃業しています。
 
その先生は毎月1回は訪問してくれるわけですが、
その時は顧問料の集金の来訪だけでありました。

お茶を飲んで世間話をして帰るだけでした。

毎期、
6月30日が決算ですが、
決算日が近ついた1週間前になって、
ごっそり資料をもって帰って決算を結ぶという具合でした。
 
当時は、
経理士さんというのは、
それでいいのだと思っていました。
経理士というのは、
お茶を飲みにきて世間話をして
1年に1回の決算手続きをしてもらえば良いのだと考えていました。
 
それを全然不足に思ったことはありませんでした。
当然、
途中の数字のプロセスがどのように推移しているのか解かりませんでした。
 
こんなこともありました、
何期か経てのことでした。
決算期末が近くなっても経理士さんから何も連絡がないのです。
こちらも気を揉んで不安になったので
「先生、決算が近ついてきました!
どうなさいましたか?」と電話しました。
電話したらこんな返事が返ってきました
「このところ体調崩して、
寝込んでいたのです。
神原さんのは、
仲間にお願いするつもりでしたが、
仲間も忙しいというので、
明日、私が行きます。
大分体調もよくなったので」ということで、
2日で結んだこともありました。 
 
創業して1年目は約1億の売上でした。
その先生に毎年決算を結んでいただく毎に「神原さん、
今期は赤字ですよ!
何か売上が落ちていませんか?
入金が落ちてませんか?
売り掛けが落ちてませんか?」
といって毎年云ってきていました。
 
当然、
そのころは伝票なんかはきっていませんでしたから、
その度に懸命になって探すわけです。
赤字にしてはいけないと思ったからでありましょう。
また、
探せばポロポロ出てくるのですね!・・・
 
会計士さんも時間がかかると思ったのでしょう。
「神原さん、分かりました。何とかしておきましょう。
赤字、欠損にしておきますと、
銀行が金を貸しませんからね」といって、
申告日前になって出来上がった決算書をもってくるのです。
 
その決算書を見ると黒字になっているのです。
「余り、
黒字になると納税しなくてはいけませんから、
これくらいがちょうど良いでしょう」といって押印して税務署に申告するのです。
 
それが、
毎年、慣習のようになっていましたし、
また、そのようにするのに一切疑問も感じなかったし、
抵抗もありませんでした。
 
経理士さんというのは、
いつも黒字を出す「打出の子槌」を持っているくらいにしか思っていませんでした。
 
 
会社も毎期毎に1億くらいの売上伸長で推移しておりました。
第10期をむかえ売上も10億を超えるころになりました。
私共が主仕入先にしていました、
問屋(某商社)の重役さんとは親しくしていた関係上、
決算書をみてもらったら(その重役さんは経理に非常に長けていた人でした)
 
神原さん、
この決算書はおかしいよ、
これはもしかしたら赤字ですよ!
 
こんなに仮払いがあってはいけませんよ。と
指摘されました。
 
そういえば、
前期に税務調査がはいり、
仮払いを全て社長への貸付とみなされ、

利息を払わされていたのです。

その重役さんのいうには
「この仮払いは全て貸付金ですよ、
社長が払う意志がなければ全て欠損ですよ」といわれ、
会計事務所を変えたらどうですかと薦められ、
その人の紹介してもらった会計事務所に
改めて決算を結んでもらったら約4000万の赤字が計上したのです。
 
その時、
私は驚愕して大慌てをしました。
その赤字を補填するために、
幸いにアパート1棟もっていたので、
値上がりもしていたので売却して貸付の返済に充て、

そして増資したということです。

数字は嘘をつかない」とはよくいったものです。
10年近くもウソの数字で固められていたのでいっぺんに膿が出たのです。
 
私の勘では赤字を算出していると思っていたが、
こんなに赤字とは思っていませんでした。
以前の経理士もそんなに赤字だとは思ってなかったと思います。
 
アバウト、

大よその数字の恐ろしさを思い知る一場面であります。

クライアントの個人差はあるでしょうが、
私は、
会計事務所さんが出してくれる計数は、

清らかで尊く、おかしがたい数字で「神聖視」してきましたから驚きもひとしおでした。

 

A数字には数値が含まれている…
     ・数字は「売上」。数値は「経常利益」。

 
●マネジメントの鉄則は「数字には数値が含まれている」ことを
踏まえて経営にあたるべきだと教えています。
 
経営者は絶えず「数字」を「数値」として捉えて
洞察して慧眼力(物事の事実を見抜く鋭い眼力)を養っておかなくてはいけないと肝に銘じました。


数値はそれぞれの数字の意味をもち、

価値をもつかどうかのものであり、
「数字は売上を示しており」「数値は経常利益を示している」のだと思います。
 
何も経理士のせいにすることはありません。

何も難しく考えることはありません。

いくら売上が上がろうと、
人を何人使おうが、
いくら儲けて、
いくら支出したかを把握していることです。
 
いわゆる極めて判取帳的でも収支のバランスをきちんと掴んでおけばいいことです。
 
専門的、
複式簿記の決算は会計事務所さんに任せておけばよいことです。
 
●◎その後新しい、会計事務所にかわってからは、
担当者の方が毎月来訪してくださるようになり、
伝票をチェックしてくださるようになりました。そして、
月次決算書も出してくれるようになりました。一番驚いたのは、
月次決算書があるのかと驚きましたが、
それらの数字がコンピューターで表示されて持参して来たのには
驚きも一様ではありませんでした。(今では当たり前でありますが・・・・・) 
 
今までの決算書作成は
全て手書きであったのでその驚きは大変なものでした。
しかも、

月次決算もやってくれるのかと感心したものです。

15期で黒字に転化し、
16期には有史以来の利益を算出しました。
 
顧問料も以前の経理士さんの2倍以上も払うようになっていましたが、
それを少しも高いと思ったことはありませんでした。
 

決算作成料などは3倍位高かったのではないかと思います。

私にとっては経理士の顧問料なんかは比較対象する尺度がないし、
会社は利益を出しているという考えが先行していたと思います。
以前の経理士さんとは
比較対象にならないからです。
ほとんどのクライアントがそのように考えているのではないかと思います。
 
★私は、その時に考えました。
会社創業時に会計事務所の選定を誤ってはいけないとつくづく考えました。
絶対にアバウト的、
大よそ的のところに頼むべきでないと思いました。
 
創業時のこの数字に対するアバウトな考え方に
私の会社が存続していた25年間、

私は影響され、支配されていたような気がします。

むしろ、
創業当初は数字に、よりやかましく、

厳しく管理くれる会計事務所を選ぶのが絶対だと痛感しました。

私なんか、

営業畑の出身ですから、経理を軽くみるきらいがあったのです。

中小企業の社長には、
そういう人が案外と多いものです。
決算書を見るときにほとんど損益計算書の右下しかみないのですから・・・
横着とは、

そのバランスシートを自ら理解するための学習を怠る人のことです。

あるいはバランスシートの見方、
理解できる人が何人いるかということです。
数字に弱く、
横着な経営者はその数字、

数値を啓蒙させ啓発させてくれる会計事務所を選択すべきだと思います。
  
B私の遺言の書から…

     ・絶対に仕入代金を自己発行手形を振り出さない。
     ・すべて裏書手形を使用せよ!

     ・絶対に仕入代金を自己発行手形を振り出さない。
     ・すべて裏書手形を使用せよ! 

●◎元の会社のマネジメントの話をするには次のことは欠かせません。

債権者集会が終えて3ケ月を経たころに、
私もかなり落ち着きを取り戻したのでしょうか、
倒産後、

私の子飼いの社員たちが5人ほど独立開業しました。

私は彼らにとっては実につまらなく顔向けできない親ですが、
長い経営の航海の旅立ちにあたり無事に航海するようにと

「遺言の書」として記述して渡してやったものがあります。

その「遺言の書」とは、
私の失敗を二度と繰り返すことをしてはならないということを
網羅して27ページにわたって書いたものです。
今になって考えてみると、

あの時にあの精神状態であれだけのものが良く書けたものだと感心しております。

その中で強調して云っている一項目があります。
それは
「絶対に仕入れ代金を自己発行手形を振り出してはならない」
「すべて回して裏書手形にせよ」といれてます。
 
おかげであれから10年を経ますが、

誰1人として挫折し脱落したものはいません。

その遺言の書の中で、
あなたたちの元会社が倒産してその総責任者は社長の私です。

と、繰り返し詫びています。

その失敗した最大の要因を列記してみると

次のことが記述していました。
10年前の物が生々しく残っていたものだと感心しています。
  
C倒産原因の8項目

     ・謙虚さに欠け、傲慢さが先行……拡大路線をとった。
     ・識者の情報や忠告してくれるブレーンを遠避けていた。
     ・いざの時の内部留保をしていなかった。
     ・「粗利益」確保を重要視しないで事業展開していた。
     ・生産性を考慮せずに社員を増やしすぎた。
     ・過大に設備投資をしすぎた。
     ・総経費率が過大になっていた。(末期の時…労働分配率が65%超)
     ・見栄と虚栄の固まりであった。…優柔不断と冷徹さに欠けていた。

 
倒産した私の会社を検証するには貴重のものだと思い発表してみます。
 
(1)謙虚さに欠け、傲慢さが先行して拡大路線をとりすぎた。
 
(2)拡大路線をとるにつき、
  それ相当な見識者の情報を収集するのと、

  その人たちを見つけ意見を伺う機会をつくらなかった。
  特にブレーン的存在の人を側に置かなかったのが致命傷であった。

  そして、 
   私に関して直接利害を生じる人の忠告を聞かなかった。
(
3)順境の時に、逆境の時(不況の時)の備えを怠り内部留保を推し進めてなかった。
 

その第一番は、

(4)自己資本利益率〔(年間純利益÷平均自己資本)×100=15%以上〕を高めてなかった。


・経営の母体となる粗利益(売上総利益)確保重視する工夫が不足していた。収益の よい工種選別受注と消化を怠っていた。

 

(5)むやみやたら人材を登用しすぎた。特に非生産要員と生産向上のない技術工が多すぎた。
 そのために、1人当たりの年間純利益高が低すぎた。〔年間純利益÷従業員数=業種により違うが高い方がよい。

 
(6)過大設備投資をかけすぎた。設備投資の定石は付加価値配分の10〜15%に留めておくべきであった。
 
(7)倒産時前期23期の総経費率が30%近くになっていた。その内に占める人件費率も12.6%となっていた。労働分配率も65%以上になっていた。これは末期症状であった。
 

(8)見栄と虚栄にかたまり、本質の事業とは何かを忘れていた。縮小しなくてはならないのに、拡大することばかり考えており撤退しなかった。
 また、撤退することを余儀なくしていたのに優柔不断であり勇気を出せなかった。経営者として冷徹さが不足していた。

 
以上、8項目に渡って申し上げましたが、
しかし、その他様々な要因があったことは言うまでもありません。
 
posted by 寛良 at 16:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇『失敗から学ぶこと』 神原節雄氏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする