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リスク・カウンセラー奮闘記−156
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●“付言と自分史”の動機付けと主人公は?
相続相談に関わっていつの間にか20年が経つ。数年前から世の中に『終活』なる言葉が誕生してから、俄に相続に関係するビジネスが誕生している。人生の終焉が近くなってくると、人は自分の人生を振り返ってその記憶を記録に替えたくなってくる。
被相続人が財産を遺すとき相続人に向けて一方的に遺産の分割方法を決めて『遺言書』として書き残すのだが、財産を受ける相続人に対して想いの丈を言葉として書き記し遺言書に添えることによって、相続人の一人一人が故人の想いも受け止められるようにしようと『付言』なるものを書くことが慣習化されつつあるのは、相続発生後の手続きをスムーズにすることにつながる傾向にあるようです。
もしも貴方が「付言」を書くことを勧めるとすれば、
推定被相続人が元気な時で、しかも、相続人が居ない席を確認してから話を切り出すことが適切だと思います。そして、勧めるときの話題としては…決して畳みかけるようにならない…家族関係をじっくり把握した上で情緒的に「付言」の必要性を説明して背中を押すような気持ちで会話するのがよいでしょう。
推定被相続人の記憶を記録に残すものに『自分史』という方法があります。社会から人望がある人と多くの人に慕われ憧れの対象となっているような人には是非とも残して欲しいのが『自分史』や『生き様記録』というもので、その人を尊敬する複数の人が発起人となって編纂するものではないでしょうか。
一般の良識ある人であれば、出来上がった冊子を営業的に活用することでない限り、自分自身を鼓舞するような冊子を自らの意思で制作することなんて考えられません。
自分で自分の記録を書き綴るには、反骨の精神をもって広く社会に向けて自己主張をしたいと考えるならば、それを受け入れる人は皆無に近いと思います。
その人の社会の変遷と共にあった人生の記憶や功績を、更に深く知り、より多くの人々に広めたいと願うその人を崇拝する同志たちによって、勧められるべきものが求められている場合もあります。
そうしたものは、本人に原稿を執筆を委ねて、編集するような性格のものではないことを知っておかなければならないと思います。
何気ない本人との会話や、本人と親しい関係者から得た情報や本人のご家族からの思い出の品や写真などから、編纂することになるのですから、制作を勧める対象者は、施設に入居しているご本人ではなく、ご家族や、友人、知人に制作することの意義を呼びかけアピールするものでなければなりません。