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リスク・カウンセラー奮闘記−141
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リスク・カウンセラー奮闘記−141
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◆仏様の『モノサシ』は存在価値を計る〜
カウンセラーを始めてからいつの間にか20年を超えてしまったが、まだまだ未熟の感は捨てることができず毎日が完熟を目指し修養中の身なのだと思っています。
これまでの相談者は倒産の危機が迫った経営者であったり、家族との確執に悩むご老人もいらした。また、認知症の親と生活するご夫婦のご相談も、友人や恋人との人間関係の悩み…、どの相談を取り上げても私には体験できない本人だけが心身で受け止め切り抜けてきた言動を、いさめたり批判したりすることはできない。
千人の相談者がいれば千通りのモノサシを持っていることは確かなことで、それを自分のモノサシだけで判断したりできないからこそ、カウンセラーの存在が大切になってくるのだと思っています。
カウンセラーは、相談者の悩みや苦しみをモノサシで計ることは決してしません。相談者が自分自身がそれまで持ち続けてきたモノサシに沿って、相談者の悩みを受容し・共感して、相談者が持っている問題解決のお手伝いをしていくのです。
コンサルタントや指導者など対峙する相手より上の立場に立っている関係にあり、上の立場にある者が基準として持っているモノサシが基準になっているのは、やむを得ないことだと思う。
辛うじて言うなれば、受講者参加型のセミナー講師は、一定のモノサシを持ちながらも、受講者のモノサシとの違いを調整しているのではないだろうか。
ずいぶん昔に聞いた話ですが…
・仏様のモノサシは…存在価値を計る
・人間のモノサシは…有用価値を計る
と教えていただきました。
人は、それぞれ過去の経験から得た『自分のモノサシ』を持っているので、その自分のモノサシを基準として、相手がした行為の善し悪しを決めてしまうことになる。社会の多くの人が許してしまうことでも、自分の常識では許せないということになってしまうのは、モノサシを有用価値を基準にしている間だからこそなのでしょう。
特に相手に特別の感情を持っている場合には、善しきにつけ悪しきにつけ、モノサシは裁くためのモノサシになってしまうので怖いものだ。
◆『色メガネ』を外して人を観られるか?
更に、モノサシより恐ろしいと感じているのは「色メガネ」で人を観ることです。特にありがちなのは、つい『悪意の色メガネ』で人を観てしまうことがあったり、根拠もなく『善意のメガネ』で観てしまい、後になって「騙された〜」と泣きをみる人もいます。
モノサシで計ることは自分と相手の2つのモノサシを並べて比較するのですから違いが具体的になりますが、『色メガネ』で観るということは、相手に対して一方的に「偏った見方」をするのですから、言うなれば「問答無用」だと言うことです。
「男女の差」「民族の差」などは如何ともし難い事だけに、タイプが違うことだけでレッテルを貼ってしまったのでは、話し合いをしたところで完全に融合することにはならないでしょう。
一方の言い分だけが正しくて、それに合わせなければならないとすれば、共生をしたくても道のりは長く、コミュニケーションの取り方を間違えると崩壊しやすい関係になってしまいます。
共生して行くためには、お互いが自分のモノサシを正しく示し、また相手の「存在価値」を認めた「仏様のモノサシ」…を2つのモノサシの間に挟み入れて、人間関係が穏やかに創成していくことが観えた時が、カウンセラー冥利に尽きると感じた瞬間なのです。
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