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リスク・カウンセラー奮闘記−134
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リスク・カウンセラー奮闘記−134
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●幸せを売る男?幸せの種を蒔きたいが…。
〜♪〜おいらバカボン〜幸せ〜と〜、楽しいシャンソン売って歩く〜♪〜
親のアルバムを整理していたら写真の隅に写っていたレコードジャケットに『幸せを売る男』の文字が見えた。母が台所で歌っていたのがこの歌で、どうやら当時の流行り歌であったに違いない。 さぞがしご機嫌が良かったときに歌っていたのではないかと勝手に想像しているが…、本当はどうだったのだろうか?
私の記憶の中では…なぜかブァカボンドの部分が『バカボン』に置き換わっているが…まぁ、それはそれでいいじゃないか…「天才バカボン」ならば…。
いくつもの小規模企業の事業再生に関わっていると、年老いた老夫婦や、子供や孫達の家族の顔が見え隠れする中での事業再生には、いまの経営危機を乗り越えて早く『幸せな生活に戻ってほしい…』と感じながら、時には事業の再生と家族の再起をお手伝いするため家族会議の進行役を引き受け、冷静な目で観た顛末を解きほぐすように説明することもあります。
相談者の声に耳を傾ける傾聴の連続は、かなりの『バカボン(?)』だからこそ、続けていられるのかも…と思うことがあります。
因みにヴァガボンド(vagabond)は、一定の所にとどまるのを好まず、転々と渡り歩く者。放浪者…。とある。
だから…、時には先生などと呼ぶ方もいらっしゃいますが、正直なところ一番居心地が悪い言葉かも知れません。
●代は要らない〜♪、人が誰も幸せならば〜♪〜
いま目の前にいる相談者が、幸せなのか不幸なのかの真実は分からない。
「ようやく自分を救ってくれる人に出会えた…」と涙を溢れさせて、みるみるうちに顔の表情が安堵の表情に変わっていく人に、本当は、この瞬間をどのように感じているのだろうか…と、戸惑うことがあるものの、目の前の人がこれから歩む道すがらを、最期まで見守り続けていくことができればいいのですが、所詮それは無理なこと。
その人から不安な表情が消え、笑い声が出ることが確かめられただけでも、出会えたことに意味があったのだと強く感じます。
道に倒れてしまい、立ち上がるには掴まる物さえ何もなく途方に暮れているとき、そっと手をさしのべて身体を支えてくれたら…、果たしてそれで良かったのかと反省したときがありました。
あのひとは…「本当は…しばらく、そのままじっと横になったままでいたかったのかも…」とバカボンなりの混乱を感じることもありますが、『幸せを売る…』が、お節介にならないように心がけておかないといけないことを、しばしば反省しているのです。
言い訳がましくなりますが、緊急を要する相談者の場合には、泪への気遣いよりも、時には突風の恐ろしさを知って貰わなければならない強い言葉のメッセージを送ります。
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【幸せを売る男】 唄:越路吹雪
おいらヴァガボンド幸福と
楽しいシャンソン売って歩く
みんな見てる俺が愛の風にのって 通る空を
おいらは撒く いつの日も口づけの麦を
この胸にはいつもある 夏や春の歌が
人が悩み 泪こぼす そんな時においらは行く
胸の中のほころびを つくろう為 おいらは行く
年が来れば来るごとに 濡れた泪干して
心の舟出す為においらは歌唄う
おいら泪売るよりも 笑い声を売るのが好き
代は要らない 人が誰も幸福なら
おいらいいさ おいらは行くいつの日も
濡れた泪干しに この胸にはいつもある
夏や春の歌が おいらヴァガボンド幸福と
心にシャンソン置いて歩く
みんな見てる 軽い愛の 風にのって通る空を・・・
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